
昭和44年生まれ直美の物語⑨
9・ホームヘルパーさんになる
ヘルパー二級講座を受講して介護のことを学んだ。座学と実技、そしてはホームヘルパーと高齢者のデイサービスでの実習がカリキュラムにあった。
ホームヘルパー事業所とデイサービス事業所で高齢者への介護を実践させてもらった。楽しかったが、仕事としてピンとは来なかった。
平成十五年六月二十六日にヘルパー二級の資格を取得した。
それから二か月の間、ヘルパーの仕事に就くか?ピンと来ないので、躊躇していた。
しかし、その二か月の間に、何度も何度も電話をくれる人物が居た。同年代であろうか、実習先のホームヘルパー事業所の事務員の女性だ。
毎回、とても感じが良い。
「直美さん、一緒に働きませんか?」
「う~ん。ピンと来ないのですよね~」
「直美さん、絶対に向いてます」
「そうね~、ありがとうございます」とお断りし続けた直美に、凝りもせず、何度も何度も電話をしてきた。
二か月の間に十回は電話してきただろう。
六月から、転職に向けて派遣の仕事は減らし、八月も終わりに近づいていた。
また電話がかかってきた。
「そこまで誘ってくださるのなら、ホームヘルパーのお仕事してみます」と直美は答えた。
登録ヘルパーという働き方だ。派遣先のご自宅へ出向き、ヘルパー業を行う。
最初は人さまの台所で、人さまの道具でお料理を作るなんて、無理だろうと思っていた。しかし、元々高校が家政科で一通りの家庭料理は出来るようになっていた直美は、すぐに料理も含む家事全般をこなしていった。
やがて何人かの利用者さまを担当した。
大きく分けると家事援助と身体介護の二通りの仕事がある。身体介護は技術が必要だからか、時給が高い。要は事業所に入る報酬が高いのだ。
身体介護は入浴介助、オムツ交換、食事介助など身体に触れる仕事だ。家事援助は家事全般で、料理、掃除、買い物など身体には触れない仕事というわけだ。
確かに技術を必要とするが、身体介護より、家事援助の方が難しい仕事だなと直美は思っていた。
アパレル業界からの転職を考え、縁があって、ホームヘルパーさんになった。
この仕事は核家族が当たり前になったから生まれた仕事なんだなと思った。
以前は家族がしていたことだろうなと思った。初めてのことばかりで、ワクワクした。
直美が担当した一人目の利用者さまは全盲(両目が見えず光も感じない)の七十歳のおばあちゃまだった。
このおばあちゃまとの出会いが直美の人生を良い方向へ導いてくれたと言っても過言ではない。