
昭和44年生まれ直美の物語⑫
12・障害者の相談員になる
障害児の通所施設を作ってから二年後の平成二十五年からは障害福祉サービスにおける相談員(介護保険で言うならばケアマネージャー)になった。
障害者や障害児がスムーズに障害福祉サービスを利用できるようにと位置付けられた相談支援事業だ。
やりがいがあった。
どんな仕事でも受けた。面白かった。知りたい欲求の強い直美にはもってこいの仕事だった。介護保険制度が始まって三年後にヘルパーさんになってから十年が経過していた。
介護保険の仕事より障害者の仕事のほうが多く、年月も長くなってきた。
この障害者の相談員は世の中の福祉をたくさん知る機会となった。それに加え、障害児の支援が多かったので教育にも触れることとなった。更には医療ケアが必要な児童も増えているので医療にも関わっていくことになった。
平成十八年の法改正から三障害(身体・知的・精神)が同じように福祉サービスを受けることができるようになった。この三障害にはそれぞれ障害者手帳というのが交付される。
身体障害者手帳、療育手帳、精神保健福祉手帳の三種類だ。
発達障害と診断された方は大人も子供も精神保健福祉手帳が交付される。(しかし、手帳がなくても障害福祉サービスは医師の診断書等で利用ができる)
直美は平成二十五年から約六年間、この障害福祉サービスにおける相談員をした。
事業者の立場、行政の立場、教育、医療の立場、直美自身の特性として、どんな立場にも成り切って想像する力が備わっている。矛盾が生じるのは仕方がない。しかし、それぞれの立場から発せられる「保身」の言動には怒りを覚えてしまう。
気持ち悪さから、血圧が上昇するのが分かる。怒りのエネルギーは強いと思った。