
昭和44年生まれ直美の物語⑭
14・ただより怖いものはない
心を殺された。しかし身体は生きている、そんな経験をした直美、なぜ、こんなことが起こるのか?また直美の知りたい欲求が生まれた。
そして、自分の居場所を求めて行った。
世間にある様々な研修や講座、会への参加をした。なぜ、人間は苦しいのだろう?
答えなんか見つかるわけもない。
しかし、知りたい欲求を満たそうと行動し続けた。
直美は何に苦しみを感じるのか?なぜ苦しいのか?
障害福祉サービスの仕事をしたことで知ったことがある。
「自立支援」と掲げてあるはずの「福祉」は真逆だった。「自立」を奪っているのだ。
福祉事業が契約制度となった平成十五年からたくさんの福祉事業経営者が生まれた。
直美がヘルパーさんになって、七十歳のおばあちゃまと出会い天職だと思った。その後ヘルパーさんから責任者となり、訪問介護員としての仕事の経験を積んでいく、元々子どもが大好きだったこともあってか、障害児への関わりが増えて、障害児の通所施設を作る。
そして制度に乗っかり、障害福祉サービスの相談員を経験し、日本の福祉を垣間見ていくこととなった。
相談員は多くの行政の人や福祉事業者と関わることが仕事の一つだ。
行政はマニュアル通りに動くことが大事。
事業者は売り上げが大事。
親、家族、本人は自分たちの生活が大事。
それぞれの立場で進める。
みんな自分都合の発言となる。
行政は財政難の中、限られた予算の中で利用してもらいたい、必要最小限としたい。
事業者はたくさん利用してもらいたい。出来るだけ継続して使ってもらいたい。
親、家族、本人は自分の都合よく利用したい。使えるなら使えるだけ使いたい。
「自立」って何なんだ?という疑問から迷走する直美がいた。
福祉サービスを利用する上での利用者が支払う金額がある。
子ども(十八歳まで)のときは親の収入に応じて金額が決まる。十八歳以降は本人の収入に応じて金額が決まる。
収入が無ければ支払いは無い。
「ただより怖いものはない」
そうつぶやく直美だった。