れんくん日記

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株式会社蓮

小学校教諭のリワーク物語

番外編

~みどりからのメッセージ前編~

はじめまして。みどりです。

リワークセッションの記録を代表が綴ってくださいました。

7回にわたり、私の病気休暇から復職に至るまでのリワークプログラムをお読みくださり、ありがとうございます。

今回は、復職後について書かせていただきたいと、自ら申し出ました。このリワークセッションが他とは違うってことをお伝えしたい思いもあります。

前回の物語で、復職は早くても3月末からということになりましたが、4月1日からになりました。

最終的に判断したのは異動が決まった時の校長との電話でした。

異動は病気休暇前に、所属年数が長かったことから希望していました。

校長から異動についての電話がかかり、久しぶりに話をしました。それまでは、私の心身を考慮して、主人が窓口になってくれていたからです。

校長から、申し訳なかったと伝えられました。その言葉を聞いた途端、根拠はないけど色々な思いが込み上げ、許す許さないではなく、もうとっくに許していた自分がいることに気付いたのです。

元々、信頼を寄せていて、若い頃から気にかけてくれていたあの頃の事がふと蘇りました。

「4月から新天地で復職した方がいい。こちらのことは気にしなくてもいいから。」

と言い、すぐ異動先の校長に連絡を取ってくれました。

置いている荷物の片付けがあるので、勤務校には出向かわないといけませんが、私の中で吹っ切れていたのでしょう。

迷惑をかけてしまったことを出会う同僚に詫び、代わりに担任を引き受けてくれた方に御礼を伝えました。

さて、前置きが長くなりました。

4月から新天地に異動、感覚でしょうか。職員同士が仲が良くて温かい雰囲気を感じ取りました。と同時に、自分の一生懸命をまだ控える、甘えられることは甘える、と心に決めて、分からないことはしつこく聞き、子どもを出迎えるまで、たくさんの方が声をかけてくださいました。

前任校では、初日から忙しさ故、何をして良いのか分からないのに、帰りが22時、、

心が折れてしまったことを思い出しました。

それからも、子供を出迎えるまで帰宅時間は平均10時、まだ幼かった子どもを泊まりで主人の実家にお願いしました。

根本が違う中で、私は自分の軸さえも大きくブレていくことにも気づかず、長時間一生懸命働く事が美学になっていたことに気付かされました。

割り切る事が悪にも思えてた事にも気付かされました。

比べる事はあまり好きではありませんが、なぜ自分が心身を蝕んでいったのか、明確に分かる様になりました。

それは、リワークを受けて、どうしていきたいか、優先順位を決めたことが大きいです。

ただ、新しい環境に従う事で馴染む事ができると思っていた自分は、大きな間違いをしていたのです。

自分は自分、そして家族がいる。

働くためには、心身共に健やかでないと、子どもたちの前で余裕持って対応できなくなる。

結局、誰も幸せにはなれない。もちろん、自分も、、、

後編につづきます・・・

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