れんくん日記

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昭和44年生まれ直美の物語⑪

11・障がい児の通所施設

何らかの障害を持つ子供たちの「移動支援」の仕事が増えてきた。一緒にプールへ行ったり、公園へ行ったり、買い物へも行った。

障害のある子どもたちの放課後の過ごし方の定番となりつつあった。平成十八年くらいから身体障害児と知的障害児の「移動支援」は働くお母さんにとって無くてはならないサービスとなっていた。

元々の目的である外出時の付き添いの支援は「預かり」の支援となっていった。

行政は焦り始めた。と直美は感じていた。

予算を抑えるために、その内容を締め付け始めた。広島市が事業者を指定し国と県、市町の予算から報酬を支払うわけだから、民間の事業者であっても公的な仕事だ。一~二年に一度「実地指導」という指導が事業者に入る。行政の担当者が三名事業所に来て、書類に記載されている記録と報酬が合っているかのチェックだ。

「移動支援」は報酬単価が低いわりに、厳しくチェックされた。今まではよかったサービス内容も細かくチェックされ、電車移動など、支援の要らない時間は「時間から中抜きする」とか、他にも様々な支援内容を指摘された。

もうすでに支払われた報酬も今までは良かったサービス内容であっても「返戻(支払われた報酬を返す)」をしなさいと指導をされた。

確かに悪質な事業者は居る。何もしていないのに長時間預かるだけの支援では目的が違うだろう。しかし、真面目にやっていた事業者も理不尽に「返戻」をした。

預かって欲しい親御さんは増える一方だ。事業者も働くお母さんたちの味方でありたいと思うわけだ。

直美は、常に冷静で客観的な性格、行政の言い分も正解、親御さんの思いも正解、どうしたら最善かを考えれば良いのだと思っていた。

そして、「障がい児の通所施設」を作る事業者が増え始めた。平成二十三年の頃のことだ。

直美はその障がい児の通所施設を作ることになった。

ニーズはものすごい勢いで増えた。

平成二十四年の法改正から、もっともっと増えた。

障がい児の通所施設はそれまで障害福祉サービスに位置付けられ「児童デイサービス」という呼び名だったが、平成二十四年の法改正から「児童福祉法」へ移行し「児童発達支援事業(未就学児)」と「放課後等デイサービス(就学児)」という呼び名となった。

広島市には平成二十三年時は三十件に満たない数だった障がい児の通所施設は令和三年の今、二百件あまりに増えている。

直美は当初から思ったことがある。「こんな事業所が無くなる社会にしなくては。」と。

障害があってもなくても、地域で同じように暮らせる社会。「共生社会」とか「共生教育」とか言ってる割には「分ける社会」「分ける教育」に感じた。とても気持ち悪さを覚え始めた。

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