れんくん日記

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昭和44年生まれ直美の物語③

3・助けてくれたやんちゃな少年たち

理不尽な教師からの意地悪はひと月後のクラス替えにより逃れることができた。

担任もクラスメイトも変わった。

しかし、教師からの意地悪は心に傷をつけた。食欲が無くなり、動悸がするようになった。

給食をほとんど食べることが出来なくなっていたのを見て、無言でご飯やおかずを半分取ってくれたクラスメイトがいた。

彼は、制服の学ランを短くした短ランに太くしたボンタンと呼ばれていたズボン(当時のヤンキーの制服の着こなしである)といういで立ちのやんちゃな少年である。

昭和六十年に大ブレイクした「ビーバップハイスクール」という映画に出てくる、ヒロシ&トウルのいで立ちと言ったらわかる人もいるだろう。最近で言うと1988年に発表されたヤンキーマンガをドラマ化した「今日から俺は」の主人公、貴志と真司のいで立ちによく似ている。

彼は、クラス替えの前も同じクラスだった。ずっと心配してくれていたのだろう。

常に、気にかけてくれ、意地悪をされないようにかばってくれていたことに気付き、彼らに惹かれていく自分がいた。

昨今、少年犯罪のニュースを目にするたびに彼らを思い出すことがある。

いわゆる非行少年だった彼ら。

私にとっては、助けてくれた恩人であり、尊敬できるカッコいい男子だったが、世間はそうは見ない。直美の母もそうだった。「あの子たちと付き合ってはいけません」としか言わなかった。「非行少年と付き合ってはなりません」は子育てにおける家庭教育としてはそんなものだろう。しかし、母が彼らのことをどの程度知っていたのかはわからない。

彼らは、無免許で原付バイクを乗り回していた。酒、たばこは当たり前だった。その頃は、今のように身分証が無くても購入できた。ビールやお酒、たばこの自動販売機がありとあらゆるところに設置されていたから容易く買うことができた。彼らは私にそれらを強要することはしない。いいことでないことは承知の上での非行だったのだろう。

彼の家庭環境を思い出す。

彼は祖母に育てられていた。同居家族は祖母と実父の弟である叔父家族(妻と子)の5人。少し離れたところに実母と実妹が二人で暮らしていた。実の父は借金を残して蒸発し、どこにいるのか分からない。

おばあちゃんは彼の間違った行動、法に触れる行動に対して叱らなかった。直美が彼らの家に遊びに行くと歓迎され可愛がってもらった。たばこや酒、無免許運転、深夜の外出、補導、どんなことでも叱らなかった。見て見ぬふりではない、親が居ない彼をどこか不憫に思い祖母は甘やかしていたのか、蒸発した息子のことを詫びる気持ちからだったのかと今、想像してみる。直美はおばあちゃんもおじちゃんも彼を叱れないでいるようには感じていた。叱ることができない。

彼の友達の家庭は母子家庭、シングルマザーとして一人で産み育てる母と二人暮らし。母は水商売で必死に稼いでいた。常に男性が出入りする環境で、放任されていた。

この二人の男子に私は救われた。助けてもらった。とても尊敬した。

もしかしたら、この時の経験が直美の恋愛観を作ったのかも知れない。

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