れんくんブログ

れんくんのてらこや

【れんくん日記】

2023.02.21

昭和44年生まれ直美の物語⑥

6・やんちゃな男性を好む恋愛観と恋愛の賜物

中学三年生のときの転校で先生と女子に意地悪され、助けてくれたやんちゃな少年との出会いから育まれてしまった恋愛観。やんちゃな少年を好きになる傾向はここから始まった。

十九歳の時に出会ったやんちゃな彼、時間にルーズ、人の話は聞いてない、自分本位の行動、落ち着きがない、日本を住みにくい国だと言う。めちゃくちゃだが、なぜか惹かれてしまう。

出会ってから間もなくアメリカへと留学してしまい、今みたいにインターネットなんてない時代、アナログ電話と手紙のやり取りで縁をつないでいた。

わがままで自分勝手だとはわかっていても、なぜか気になるやんちゃな彼だった。

二年三か月で退職してしまった直美は、その頃、心身共に病んでいた。満員電車に乗れなくなったことが退職理由の一つであった。体重は三十八キロにまで落ちていた。退職してからひと月は、ゆっくり過ごしたが、元々じっとしておくことが苦手な直美は、じっとしておくことに我慢できず、その当時たくさん募集があった避暑地にあるペンションでの住み込みアルバイトをすることにした。ひと月の予定だったが、「週末以外は仕事が無いけど居てもいいよ」と言われ、三か月ほど長野県の乗鞍岳で暮らした。すっかり元気になり、体重も戻り、冬になる前に帰ることにした。そして、彼のいるアメリカ西海岸へと旅立つことにした。オープンチケットを購入し三か月の滞在を決めた。

彼はロサンゼルスに住み、アルバイトをしながら学校へ通っていた。彼が学校の時は家の中で過ごした。危険な場所が多く、一人での外出は控えた。銃声が聞こえたり、人種差別を目の当たりにして、三か月滞在し帰国後、アメリカには二度と行かないと決めていた。もちろん気候はいいし、面白いことはたくさんあった。しかし、それから二度とアメリカへは行くつもりはなかった。本当にそれきり行っていない。

直美はふと父が以前、ロサンゼルスへ出張へ行き、帰ってきたときに話していたことを思い出した。

「あんなに年中、気候がいいところで暮らしたら、人間がダメになるよ」と。

改めて、父の凄さが分かる。日本のように季節があると寒さや暑さに堪え、心地よい彼岸の時期を気持ちよいと過ごす。そこに我慢がある。だからこその喜びがある。その方が成長できるということを伝えたかったのだろう。しかし、父の凄さは亡くなってから気づく直美である。

彼もしばらくすると帰国することとなり、直美は、彼との結婚を決めた。不安はあったが決めた。

彼の両親からはとても可愛がられた。籍は入れずに、同居を始めることにした。

同居して半年後くらいに、彼のストレスは爆発した。やんちゃな彼は二人での生活が窮屈だったのだろう。

仕事も長続きしない。外ではいい人で通す代わりに、家に帰るとそのストレスの矛先は、物や直美に向けられた。それでも、一緒に居た。

そして五年後、再び彼は日本を離れたいという理由から「ドイツに日本人が経営している会社があって、英会話のできる人材を募集していた。応募したら受かったから行く。」と決めた。

今度こそ彼の居場所が見つかればいいなと、追ってドイツへと旅立つことを決めた。直美はまたオープンチケットを購入し三か月の滞在をすることにした。

ドイツでの生活はアメリカとは違い、とても自由だった。一人での外出もした。隣のアパートメントに住んでいるイタリア人ファミリーと仲良くなり、毎日のように子どもたちと遊んでいた。

イタリア人ママとはとても気が合い仲良くなった。ある日、ママが自分の息子の恋愛についての悩みを打ち明けてくれた。ママも私も自国の言葉しか話せない。共通言語は「ドイツ語」ドイツ語とイタリア語の単語を調べては書いたり話したり、あとは絵を描いた。

思いがあれば伝わるとその時学んだ。

恋愛や性のこと、そして宗教についても話が広がった。

「日本は仏教の国でしょう?」「仏教について教えてほしい」とママに訊かれ、「残念ながら、なんちゃって仏教で葬式仏教」であることを伝えると、ママは悲しそうな表情になった。

その時ハッとした。日本人として大切にしなければならないことがあるのではないかと。

そして三か月が経ち、ビザなし観光の期限が切れる前に帰国した。

ドイツから帰国した時に彼との別れを決めていた。

このままでは、彼も私も幸せではないな。離れてみた方がいいなと直美は考えていた。

それを丁寧に伝えると彼も納得し、それきりとなった。

彼は、今だったら間違いなく発達障害と診断されるだろう。いわゆる注意欠陥多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群。

いつキレるかわからない彼との生活はジェットコースターに乗っているような日々だった。

それでもアメリカとドイツへ行くことができ、客観的に日本という國を見ることが出来たこと、日本は住みにくいと彼が言い続けたこと、何故?そうなのかを考えるきっかけとなったことは経験として良かったのだと、それから八年くらい経って直美は思うようになった。

さて帰国後、彼との別れを決めた私は、両親のいる広島に来た。

実家に長居をするつもりはなかったが、それから現在まで二十二年間広島の地で暮らしている。

広島に住むことを決めた直美は仕事を探し始めた。